山村明義の神代のブログ 2012-06-12 を転載

「戦後保守」からの脱却の必要性
- ある若手論客考 -

今回は、20代で彗星のごとく「ネット保守」の世界へ飛び出した、古谷ツネヒラ君の思想にふれ、将来世代の日本人のための「新たな保守思想」についての論考を書いてみたい。

古谷君は、82年生まれで間もなく30歳と若くしてアニメ評論家を手がけ、CS放送の「チャンネル桜」のパーソナリティを務める「若手論客」である。彼の日本アニメ・漫画論は、実はアニメと漫画が大好きな私ともいろいろ会話を交わしていて、話が合いとても面白い。日本のアニメと漫画は、モノ作りに魂を込める「神道精神」が日本人を支えているというのが神道家の私の持論なのだが、彼はなぜか「保守」と呼ばれるのを嫌う反面、その素顔は、日本人らしく、礼儀正しい「好漢」である。


その古谷君が、「韓流、テレビ、ステマした」(青林堂)という新刊を送ってきたので、早速読んでみた。
そこには、この近年の「韓流ブーム」がいかに「やらせ」に近い行為で盛り上げられてきたか。あるいは、なぜネットで「韓流」が嫌われるのか、そしてNHKやフジテレビなどテレビがなぜダメになったのかが論理的に書かれている。

とりわけ興味深いのは、戦後の「左翼リベラル」が実は、「在日韓国人を見下している」と断じる一方で、フジテレビに対して、産経新聞を含めたフジサンケイ・グループが、「戦後保守」の典型的なコースを歩んできたかという下りの論考である。

彼はそれを「見下しの左翼、しがらみの保守」と呼んでいるが、このキャッチは、若手日本人が、戦後の「左右対立」をどう見ていたかがわかるユニークな視点だ。

私は朝日新聞を含めた戦後の「左翼リベラル」という存在が好きになれない。それは彼らが進歩的文化人面をした「偽善者」そのものであり、いまや付き合っていても何の刺激も感じない単なる「守旧派」となり果てているからいるからいるからだ。片や「保守」の方も、戦後の「反共」イデオロギーから抜けきれず、「アメリカがいないと日本は駄目だ」と思いこんでいる欠陥がある。確かに、日本にはいまだ経済・軍事的にその側面があるが、若く新しいネット世代の思想潮流は、その「左右対立」の壁をどう突破し、「本当の愛国心」を抱くことができるかとの大きなカギを握っていると言えるだろう。

つまり、それは40代から50代に多い「左右どちらとも嫌」と考えてきた「ノンポリ・リベラル」の人々が、「日本をどうやって愛せるのか」というテーマに結びつく。私たちの世代は、60年・70年安保を経験した「左翼陣営」が、いかに歪な国家観や愛国観を作り上げてきたかをよく知っている。また、韓国の統一協会を母体とする「国際勝共連合」のネットワークのように、戦後の「右翼」が、彼らの精神性の内容を問わず、結局のところ、閉鎖された世界の中で「しがらみ」を作って、後ろ向きに生き残ってきたかも知っている。

だが古谷君を始め、我々の世代から若い世代には、その日本の「悪弊」を突破し、日本を純粋に愛し、もっと好きになれる可能性があることをを伝えてゆく必要がある。その一つが私の場合は、日本で最も古い保守思想の「神道」なのである。またいずれ書きたいと思うが、「戦後保守」と呼ばれる人ほど、日本人古来の神道精神をほとんど知らないか、または嫌っている人が意外なほど多い。

恐らく、古谷君ら若い世代が自らを「保守」と呼ばれるのを嫌う理由は、「戦後保守」と呼ばれる人たちが、その実、日本人本来の精神性を捨てた「アメリカ一辺倒」の反共保守であったり、実際には「韓流ブーム」を支え、韓国とも必要以上に迎合する傾向があったせいだ、と私は考えている。日本人には、やはり外国に分断されない日本本来の思想や「美学・美意識」が欠けていたのだ。

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