西村真悟の時事通信 (平成23年5月22日号)を転載

今、顕れている、天皇と日本のかたち

No.632平成23年 5月22日(日)

この度の東日本大震災において、雑誌、週刊誌に多くの論考や記事が書かれている。そのなかで、私が拝読して忘れ得ないのは、佐々淳行さんの「天皇ー最高の危機管理機構」と題する論考だ(ワック出版「歴史通」五月号掲載)。

佐々さんはこの論考で、
三月十六日に今上陛下が国民に向けて発せられたお言葉を踏まえて、「我が日本民族は、一世紀に一回ぐらいの割合で起こる国難に直面するたびに、救国の危機管理機構=天皇によって危機を乗り越えてきた。
平時、我が国では、天皇を『権威』としていただいている。しかし、一旦緩急あって非常事態に直面すると、時の政権は、天皇に『権力』をもっていただいて事態を収拾してきた。そして、体勢が安定すると、また権威に戻っていただく形を繰り返してきた。代々、天皇は、神道において天と国民を結ぶ仲保者・祭祀長という立場を占めてこられたのである。」
と冒頭に総括された上で、
我が国の天皇と他国の君主の違いを説明され、昭和天皇の戦後の全国御巡幸と御製、そして、自ら警備の任にあたった想い出を踏まえながら、皇太子時代からの今上陛下と皇后陛下のご様子を語り起こされている。

その中で、次の記述は印象的だ。
昭和五十年七月十七日、沖縄解放同盟(黒ヘル)と戦旗派(赤ヘル)の過激派二人が、沖縄のひめゆりの塔の壕内に数日前から潜み、慰霊のためひめゆりの塔を訪れた皇太子ご夫妻に火炎瓶を投げつける事件があったとき、佐々さんは、警備責任者としてその現場にいた。佐々さんは言う。
「いきなり火炎ビンを投げつけられれば、男性でも後ずさりするのが一般的だろう。実際、沖縄県警は退避してしまい、残ったのは皇宮警察本部の警衛官十七名のみだった。その時、皇太子妃は皇太子殿下の前に半歩進まれ片手を殿下の前に差し出し、身を呈して暴漢から守ろうとされたのである。その光景は、今も私の目に焼き付いて離れない。」

このひめゆりの塔の前の皇太子ご夫妻が、今、天皇皇后両陛下として、東日本大震災の被災地を御巡幸され、破壊された被災地に向かって黙祷され、避難所を廻られてて被災者を激励されている。

先日放映された読売テレビの「そこまで言って委員会」という番組で、話題が天皇陛下の被災地御巡幸になり、地震発生以来、陛下が為されてきたことが出演者から一通り話されると、それを聞いていたざこばさんが、感極まって泣いていた。
ざこばさんは、本当に素直ななおき心の日本人だ。
そして、本日早朝六時過ぎ、関西テレビで御皇室の特集があり、被災地を御巡幸される天皇皇后両陛下と皇太子殿下ご夫妻のお姿が放映されていた。
そこに映る両陛下は、避難所の人々を親しく激励されていた。激励された人々の顔は皆すがすがしく、異口同音に元気を戴きました、勇気付けていただきました、と感激を語っていた。私も目頭が熱くなった。

この天皇皇后両陛下のお姿と被災地の国民の様子を見ているとき、この光景は、「日本でしかあり得ない尊い光景だ」としみじみと思った。
まさに、六百年以上前に北畠親房が神皇正統記に記したように、「(万世一系の)我が国のみこのことあり。異朝にはこの類なし」である。

日本は、一国一文明の国である。これは他国ではあり得ないことが我が国ではある、ということであり、同時に、我が国でこの伝統が途絶えれば、世界から貴重な文明が失われるということである。従って、私は、今上陛下の被災地御巡幸のお姿を、まことに、まことに、尊いものと思ったのだ。

そして、同時に、先の佐々淳行さんの、「一旦緩急あって非常時に直面すると」、天皇は「最高の危機管理機構」としてその非常事態を収拾する、という指摘を改めて思い起こした。
すると、この度の大震災勃発以来の天皇は、非常時における「日本的統治者としての天皇」、「権威による統治者としての天皇」、という御存在になっておられることが分かった。

今上陛下は、被災地の人々を慰め励まし、自衛隊をはじめ救助復興にあたる組織の人員の労苦をねぎらい努力に感謝され、さらに、全国民に一致協力して復興にあたるように呼びかけられておられるが、これは、まさに、非常時における「統治者」として呼びかけられているのだ。
そして、ここから、真の危機克服が始まってきている。このことは、世界が感嘆する紛れもない事実であり、これは、今上陛下のお言葉に直に接した被災地の人々の表情や言葉から明らかである。よって、この「統治者」としての天皇の御存在を法的に最も適切に表現した言葉を掲げ、これが、我が国の文明であり根本規範即ち、真の憲法であると指摘して本稿を終える。

大日本帝国憲法第一条
「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」
同第三条
「天皇は神聖にして侵すへからす」(了)

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