山村明義さんは、「神道」とは、自らが信じていなくとも日本人が身体で理解しているものだと解かれます。
そういわれてみれば心当たりがあると、ふと思います。無意識の中にある「おもてなし」の精神が、日本人独自の普遍の「神道」だとすれば、2020年の東京オリンピックは必ずや世界中から喜ばれ、日本の「神道」を知らしめることになるだろう。

山村明義の神代のブログ 2013-09-08 を転載

祝!東京五輪開催 五輪前に覚えよう!
 本当はすごい日本の神道

東京五輪開催決定、おめでとうございます!高円宮様と安倍総理の「ツートップ」の演説、まさに「神業」でしたね。そこで、今回は五輪開催前に覚えたい「日本の神道」がテーマです。

私が「神道と日本人」(新潮社)に続き、「本当はすごい神道」を上梓したことは、このブログをご覧の皆様は、ご存じのことだろう。

今回は、なぜ神職でない私が、これだけ神道にこだわるのかという理由を明かそう。

一つは、私の900年前の父方の先祖が九州の太宰府天満宮という神社(太宰府庁という役所でもあった)の最高職の神官に就任していた大江匡房という人物であったこと。その恩返しというわけだ。
二つ目は、私は神職の知り合いが多く、彼らと話が合うこと。神社で神主を勤める彼らは、日本の国家と日本人を愛し、あくまで「公」に殉じようというする人々が多いからである。基本的に、私は神主は実に立派な職業だと思っているのだ。
そして3つ目は、神道こそ日本人に絶対に必要な精神性だと確信をしていることだ。

例えば、日本人の「おもてなし」という精神性がある。折しもこの9月8日、東京五輪開催が決まり、外国からあるいは地方から東京に来るお客への「おもてなし」が大切となるとされている。しかしこの「おもてなし」は西欧の「サービス」ではない。

西欧キリスト教社会の「サービス」は、「私」と「あなた」の関係をハッキリさせた中での”行為”であるが、「おもてなし」は「私」が「あなた」に成り代わることで生じる日本独自の”好意”なのである。

これは神道の考え方を象徴している。例えば、あなたの家に「神様」が来るとする。恐らくあなたは、その神様がどんな神様で、何が好きかを調べて「おもてなし」をするであろう。なかには「上座」にお座りいただき、「下」に置かない扱いをするに違いない。

それは神社や家の神棚での「祀り方」とまったく同じなのである。つまり、「あなた」が「神様」に成り代わって、誠心誠意、「神様」のことを考えているのである。

神様を「おもてなし」するには、「場」と「空間」が大切だ。神様が来られるからには、その場所と空間だけでなく、自分すらも身ぎれいにし、清潔さを保とうとする。

これこそが神道の考え方だ。日本の「サービス産業」は世界一といわれるが、この最大の要素は、日本人が神道を自らが信じていなくとも、身体で理解しているからだ。

例えば失くした財布が再び届けられる。これは、「私」が「あなた」に成り代わっているからこそ起こる出来事である。「私」は「私」とあくまで一神教下の「個人」を基本とする西欧社会ではあり得ない話なのである。そのような日本文化は、神道から来ており、神道を知っていれば、いくらでも説明できる。まだ「本当はすごい神道」をご覧になっていない方は、一度読んでみてはいかがでしょうか。私があなたに成り代わり、日本人らしい日本人になれることを必ず保証いたします。

 
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