No.585 平成23年 1月 6日(木)を転載

腹の立つニュースばかりの初日の出。
と、悲観する必要はないという雑感を書いておきたい。
とはいえ、その前に、腹の立つニュースとは何か、以下それを書いておく。

旧臘十二月三十日から三十一日にかけて、気温が急速に低下して寒波がきた。そして、元旦を迎えた。
その時、何を思ったか。
それは、「ああー、あの人たち、大丈夫だろうか」ということだ。あの人達とは、大阪の西成の愛隣地区、昔の呼び方は釜が崎の三角公園や四角公園で夜を過ごす日雇いの人たちのことだ。
そして、石黒大圓さんは、寒くなったので深夜にまた寝袋を路上で寝ている人々に配っていたのだろうな、と思った。
この石黒大圓さんは、船場近くに住む尊敬すべき人で、毎年寒くなると大阪駅で路上生活者のために炊きだしをし、さらに深夜に大阪各地を廻り路上で寝ざるをえなくなった見寄のない人々に寝袋を配っている。
私は、年末になると釜が崎にお米や食糧を運ぶだけで、石黒さんのような活動はしていない。
寒い夜に黙々と寝袋を配っておられる石黒さんに頭が下がる。

そこで、思い起こしてほしい。平成二十年の暮れから二十一年の正月にかけて、日比谷公園で何があったか。
それは、民主党が煽って設営した「日比谷派遣村」だった。民主党が煽ったと言うよりも、民主党によって民衆の政府批判と権力への怨嗟を醸成するための「やらせ」の村が日比谷公園にできあがった。
私は、左翼の偽善には敏感だから、その時、「日比谷派遣村」の偽善とまやかしを指摘し、政権批判を煽る左翼の常套手段の演出だと書いた。
今日比谷公園に急にできた村で大騒ぎをする民主党の者達が、本当に村の住民を気の毒と思うならば、何故彼らの関心がマスコミのいる日比谷だけに限定されているのか。
大阪の釜が崎の三角公園は、五十年以上にわたって一年三百六十五日間、派遣村である。彼らは今まで、ここを見に来たのか。石黒大圓さんに浮浪者の実態を聞きに来たのか。
これが、日比谷村で騒ぐ民主党の連中を見て軽蔑すべき偽善者だと、私が思った理由であった。

しかしながら、この左翼的偽善は、大当たりで、この時煽られた感情的な政府批判は夏の総選挙まで続き、民主党は国民から票を詐取することに成功した。そして、政権、権力の側に立った。
そこで、あの時この日比谷派遣村で悲憤慷慨してみせていたこの連中は、本年のこの寒い年末年始、どうしたのか。
けろりと、派遣村のことは念頭にない。そして小沢邸と官邸に別れて豪勢な新年宴会に群がった。また、両方の宴会を渡り歩き掛け持ち出席した幇間のような者もいる。
一体、こいつら、政治を何だと思っているのか。彼らを集めて笑っている者達は、馬鹿な議員をさらに愚民にした上での数会わせ、囲い込みが政治だとしか心得ていない。まるで、国家にとりつく寄生虫ではないか。

以上が、私の、元旦早々、腹の立った光景だった。
とはいえ、これは、戦後政治の結果だ。
従って、次に、この結果の原因を除去する力の所在について触れたい。正月の過ごし方のなかで、それに触れた思いがするからである。

正月元旦は、朝から仲間とともに堺の八つの神社に参拝し、そこに参る人たちに新年の挨拶をした。移動時間を入れて一社に一時間、従って総計八時間の挨拶だった。昼ご飯には、屋台で買ったたこ焼きを移動中に食べた。

元旦の初詣の人々の群れは、まさに老若男女、善男善女と昔から言われるとおりの光景だった。正月の神社には、共産主義者や偏った思想を持つ人々はいない。まさに、おおらかな日本の人々だ。
そして、多くの人たちから、
「西村さん、尖閣、頼むで、護ってや」とか「頑張ってや」という励ましや、暖かい叱咤激励を戴いた。
そこで私は、一億の日本人全てが、皆、尖閣の事態を知り憂いていると感じた。

この元旦の初詣と人々との会話から私が確かめ得たものは、戦後政治の惰性を克服し、日本再興への道を拓く、日本の底力の所在だ。
本年に入り、まだ上京していないが、上京すれば一刻もはやく靖国神社と明治神宮に参り、さらに多摩御陵の昭和天皇にご挨拶がしたい。(了)